住職 曾根宏規

仏さまに祈るということ
ようやく物心がつくようになった頃からでしょうか、わたしはときどき自分の中に、ある力を感じるようになりました。それは、何かうれしいことがあった人に会うと自分もうれしくなり、悲しんでいる人を見ると自分も切なくなる、そうさせる力でした。
私がいま「魂」という言葉で実感するのは、この力です。それが何であるのか、私にはわかりません。けれども、この力は私をどこかに導くのです。
出家して以来、私はこの「魂」という力が仏さまからやってくるのではないか、と思うようになりました。そして、私にもう少し勇気と、あとわずかの忍耐があれば、この力はだれか助け、励ます行いをさせてくれるのではないか。
しかし、凡夫の私にはその勇気と忍耐が足りないと思ったとき、自然に湧いてきたのは、仏さまの慈悲の心が少しでも私に勇気と忍耐を与えてくださるように祈りたいという、心からの思いでした。
このたび、私が千の手で衆生を救う千手観音さまをご本尊にお迎えしたいと願ったのは、じつに、この祈りのためです。そして私たちに救いがあるとすれば、観音さまの慈しみの力が自分に及ぶことを祈り、自らの「魂」の力で、たとえささやかでも、だれかを励ます行いをしていくことによってではないでしょうか。
数え切れない方々の志とご支援に支えられて、この千手観音さまは、その慈悲の光をこの地に輝かされました。この光に照らされて一人でも多くの方々が自らの「魂」の力に目覚められることを願ってやみません。
全珠院住職 曾根宏規 合掌
「駿河國大覺寺 千年仏縁起」より